Simon & Garfunkel

Biography

1957年、ポール・サイモンとアート・ガーファンクルにより「トム&ジェリー」というデュオを結成。
1964年に名義を「サイモン&ガーファンクル」へと改名。
同年リリースしたファーストアルバム「水曜の朝、午前3時」のセールスが振るわず、ポールは渡英し、アートは学業に戻る。
その後、1966年にリリースした「サウンド・オブ・サイレンス」が大ヒットし、その清廉なフォークサウンドとハーモニーで一躍人気のグループとなる。
「ミセス・ロビンソン」「明日に架ける橋」などの名曲を生み出し、1970年に解散。

70年代以降は、それぞれコンスタントにソロ活動を続けつつ、グループとしてもたびたび再結成し、そのたびにツアーを行っている。

僕が中学生の頃(90年代初頭)には既に、音楽の教科書に載るようなポピュラー・スタンダードな存在だったフォークデュオ、サイモン&ガーファンクル
高校生の頃にはビートルズやローリング・ストーンズなどの60年代のロックを愛好するようになっていた僕にとって、彼らのことをレジェンド達の中でも一際別格の存在に感じていたのは、亡き母が唯一好きだった海外ミュージシャン、という単純な理由だからかもしれない。

母の遺品でもある「ミセス・ロビンソン」の7インチ

最初に名前を知ったのは前述の音楽の授業でのこと。
その頃の中坊の僕はブルーハーツでロックに目覚めたばかりで、ヒロトやマーシーのルーツを掘り下げて聴くほどのリスナーではまだなかったため、普通にスルーしていたと思う。
ちゃんと聴くきっかけはおそらく、母の頼みで「Greatest Hits」をCDレンタルしてカセットテープにダビングしたついでのことだったはずだ。


一緒にダビングした自分のカセットテープを聴くにつれ、次第にその美しいメロディーと清廉なサウンドに魅了されていった。
多分、世界中の彼らのファンとさほど変わらない、ごくありふれた経緯だろう。

聴きはじめの頃は全然意識していなかったけど、60年代後半に絶頂期を迎えるアメリカのポップグループでありながら当時のサイケデリック・ムーブメントに微塵も感化されていない音楽性は、改めて考えると驚くばかりだ。
あの当時に、あらゆるグループに揺さぶりをかけていたはずのビートルズの存在には動じなかったのだろうか?
無理矢理ジャンル別けするなら、バーズなどに代表される「フォークロック」とビーチ・ボーイズなどに代表される「ソフトロック」、その中間といったサウンドなのかもしれないが、その2つの要素を超緻密にろ過したような、ひたすら清涼で繊細なアコースティック・サウンドとハーモニー。
その中でも、曽我部恵一さんが“冬のニューヨークを散歩しているかのようなアルバム”と賞した3rd「Parsley, Sage, Rosemary And Thyme」は、さながら英国フォークのような繊細で凛とした空気感が圧巻だ。


実際、ファーストアルバム「水曜の朝、午前3時」がさほど売れず、失意のまま渡英したポール・サイモンは、マーティン・カーシーやサンディ・デニーなどの英国フォーク・ミュージシャンと交流していたことがあった。
そのときに、後に世界中を魅了する確固としたソングライティングと音楽性が確立されたのだろう。
個人的なことを言えば、僕が後に英国フォークにハマっていく理由として、若い頃からサイモン&ガーファンクルを愛聴していたことが下地としてあった、と言えるかもしれない。

個人的ついでに言えば、僕が初めて観た外タレコンサートは、高校2年のときに福岡ドームまで観に行ったサイモン&ガーファンクル来日公演である。
そのときは12月だったため(正確な日付を調べると1993年12月1日)、彼らのその清廉な音の雰囲気も相まって、僕はそれ以来12月になるとサイモン&ガーファンクルを聴きたくなる、という趣味嗜好を持つことになってしまった。

荒削りなファーストアルバムはともかくとして(もちろん、これはこれで好きだ)、「Sound Of Silence」「Parsley, Sage, Rosemary And Thyme」「Bookend」「Bridge Over Troubled Water」の4枚は、いずれもロック史に屹然とそびえ立つ、揺るぎない名盤だ。


今ではポピュラー過ぎて、あまり顧みられなくなったように思える彼ら。
作品の数は少ないものの、活動期間がほぼ同じであるビートルズに匹敵する功績をポピュラー音楽史に残したと、僕はいつも思っている。

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